マニキュアを塗ってみよう
パー子はようやく1日の仕事を終えて、自室に戻った。
臨時とはいえ、朝から晩まで働きづくめ、録にトイレに行く暇もありはしない。
今日で何日目だか、もう曜日の感覚も時間の感覚も薄らいでいる。
きっと明日あたりは累積した疲れで動けなくなってるだろう。

「あー…疲れたあ…。」ヅラ子は既に上がっていたらしく部屋でくつろいでいた。

鏡台の前で白粉を落としたり、髪を鋤いたりする様は女性そのものだ。せわしなく鏡をのぞきこみ、チェックをしている。

右よし、左よし。
上よし。下よし。

そんな細かいとこなんて誰も見ちゃいないっての…。おかまバーなんかゲテモノ好きしか来ねーのに。
相変わらず妙なところでマメだ。…
ヅラ子は小さな筆のようなものをとりだし、爪に塗り始める。
「ヅラ子ぉ、何してんの、」
「見てわからんか、マニキュアを塗ってるんだ」
「いや、そういうことじゃなくて」
爪がピカピカしている。遠目にみてもきれいだ。小さな箱みたいなものに指を入れて乾かしている。
「どれ、銀時、手を出せ。おまえも塗ってやろう」
「えっ。いや、俺はいいよ。マニキュアなんて柄じゃないし」
「手が綺麗に見えるぞ」
「いや、いいから」
「指名が増えるかもな」
「俺の話聞けよ!指名なんて増えても嬉しくないの、銀さんは!」
「おまえは白が似合うからな、フレンチネイルとかどうだ?全体を桜色で、先端を白で縁取る。カットはオーバルかスクウェアオフか」
「ええい、専門用語使うな!意味わかんねぇし!」
「フレンチネイルというのはな、初心者におすすめらしいぞ。道具もな、アゴ美殿に色々貸してもらったんだ」
「いや、あずみだろ」
目が生き生きしている。夢中で仕方ないといった表情だ。こんな時は何を言っても聞く耳を持たない。
「なんかおまえ楽しそうでムカつく…」

「ほら、右手。」
「う」

とうとう逆らえなくなり、手を出した。
文机にひじを載せて手の甲を上に向ける。

桂の爪は先が細く丸くなっている。淡い空色のグラデーションが色白の肌によく映える。

あれ?
俺、こいつと手を繋ぐのガキの時以来じゃね?

子供の頃、ヅラに手を引かれて先生や高杉、みんなと夕方に散歩した…ことがあった。よく覚えてないけど。

あの時は何で手を引かれてたんだっけ?
よく思い出せない。
まあ、今は手を繋ぐというよりは乗せている、という形容が近い。

ヅラ子は真剣に、丁寧に甘皮を剥いていく。長さが微妙にずれているのもヤスリで調節し、整える。
「銀時、甘皮はともかく爪ぐらいちゃんと切らんか」
「へいへい」
「ほら、この紅指し指、角が割れている」
「角が割れてたって死にゃあしねえだろ。時々引っ掛かって痛いだけで」
パチン。

「バカモノ!痛いのは俺もだ!」
「あ…そっか。それもそーね、ヅラ子」確かに割れた爪って肌に触れるとき引っ掛かるよなー。
ヅラ子はフン、と鼻を鳴らすと小指の甘皮を剥き始める。

「次は左手だな。」
「ハイハイハイハイ」
「ハイは一回」
「ええい、いちいち五月蠅いっつの!お母さんですか、おまえは!?」
「お母さんじゃない、ヅラ子だ」
また甘皮を剥いて、ヤスリをかける。

「こうやって手を繋ぐのは子供の時以来だな。覚えてるか」
さっき俺も同じこと考えてました、なんて勿論、パー子は知られたくない。

「あったな、そんなことも」
「うむ」

手入れを終えると、今度はマニキュアを手に取る。

一本一本、小指から親指へ、塗っていく。


「ここの指の股のところ、古傷が残ってるな」
「なんだっけ、それ。傷なんかたくさんあるし、忘れちまった」
銀時は子供の頃から生傷の絶えない生活をしている。古傷など珍しくはない。


「俺が稽古の時に誤ってつけた傷だ」
そうだっけ…そんなことあったか…?
筆を置き、桂は筋のように浮き出てた痕をゆっくりなぞる。

「すまんな、残してしまって」
「いや、別に気にしてねぇよ…」
「俺がつけた傷はこれだけだ」
言い終わるや否や、傷に額を撫でるように埋める。

「お、おい…寄せって、誰か来たら、」
桂は額から頬を擦り顔を動かす。
「ま、マニキュアがまだ乾いてないだろ、なあ。くっついちゃうぞ?」
手を引っ込めたい衝動。やや速くなる動悸。

「もう充分乾いてる。心配ない」

手の甲に触れた頬は少し熱気を帯びていて、温かい。
銀時は早まる心臓の音を相手に気取られていないか、気が気でない。


「…銀時、おまえの手は変わらないな」
心地いい温度差。

傾けた顔から黒髪が流れ零れ落ちる。隙間からはうなじがのぞく。
「…………」
銀時は唾を飲み込み、込み上げる劣情を押さえようと、空いた右手で桂の落ちた髪を耳にかけ直した。

「銀時」

桂が手に顔を乗せたまま、名前を呼ぶ。張りつめた、震えた声音で。

「高杉は変わってしまった…俺はあいつを救ってやれなかった」

「桂…」


「昔はあんな奴じゃなかった、もっと…」
「もう黙れよ!何も考えんな!」

言いかけた言葉を遮って抱きしめる。


「このまま朝まで抱いててやるから眠れ!明日の朝まで」

こんなくそ忙しい職場にずっといる理由はこれだった。
きっとループする思考から抜け出したくて抜け出せなくて仕事に没頭していたのだ。
時間を持て余せば嫌でも考えてしまうから。

「ほら、早く目ぇつぶれ!」

キュッ
腕に力を込める。
「…ありがとう、銀時」

「い、いらねーょ、礼なんて、ただその、なんだ。ちゅーの一つでもさしてくれれば…」

ぬ"〜ぬ"〜 ぬ"〜ぬ"〜

「……………」

って、おいいいい!!!!もう寝てるし!寝つき良すぎだろぉぉおお!
むしろこれからが本番っていうの?大人の時間?ヅラ流に言えばチョメチョメ?みたいなー?


軽い寝息をたて、腕のなかで桂は安心しきって笑みまで浮かべて寝ている。
無防備で安らかな寝顔を見ていると、さすがに起こせなかった。
銀時は片手を伸ばし毛布を掴みとりくるまる。



お休み、ヅラ…また明日な。



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